偏差値40の中学から75の高校へ進学した話
インフルにやられている、さいとう家です。
みなさん、大丈夫ですか?
私は、発症はしないものの、頭・腕・足が痛くて、鎮痛剤を飲み続けて、なんとか仕事にいってます。
会社でもインフルがでてきたので、電車の中での感染も気をつけてくださいね~
第一志望の学校に進学できなかったとしても
入学を許された学校はきっと縁のある学校。
気に入ったところがあって受験されたのでしょうから、その学校のいいところを子供に話してあげて、中学生活が楽しみになるようにしてあげてくださいね。
がんばった、でも今の時点では、第一志望の学校にちょっと届かなかっただけだと思います。
高校受験、大学受験、まだまだリベンジの機会はあります。
受験というものが、嫌な経験として刻まれるのではなく、前に進む通過点だと思えるといいかなっと思います。
うん、でも今は、とりあえず、お疲れ様~!ゆっくり休んでくださいね。
私の下剋上経験
近所のお友達に誘われて、西日暮里にある進学塾に通い始めたのが小学四年生の時。つらい記憶より、お友達と楽しく通ってた記憶しかありません。
親は、まったく勉強に関与しませんでしたので、ほんとうに通ってただけなんですよね(笑)
よって、成績はあまり良くなく。。
なので、当時は、中学受験も二教科(算数・国語)の学校が多数ありましたので、二教科に絞り、受験しました。
結局、第一、第二志望は不合格。すべり止めで受けた、女子S学院へ入学しました。
中学では、バスケ部に入り、お友達もたくさんでき、一緒にコンサートに行ったり楽しく過ごしていました。中高一貫なので、のびのびとした感じでしたね。
勉強面は、すべり止めの学校だったので、自分の偏差値よりは落とした学校。やっぱり物足りなくなってきました。
そこで、小学校時代に通っていた塾の中学生コースを見学することに。
すると、結構知ってる顔ぶれ。小学校時代の塾友が数名いたので、迷わず通うことにしました。
この時点では、高校受験なんて全く考えてなかったけど、だんだん塾の勉強にのめりこんでいきました。出来が悪かったとはいえ、小学生で受験勉強をしていたことは、大きな土台になっていたと思います。
それと、私の自主的に勉強したくなる時期は、小学生のときではなく、中学生のときだったようです。
すると勉強が楽しくなっていて、どんどん成績が上がりました。それも小学校時代にはなかった経験でした(笑)
一番上のクラスになることが数回あったので、塾の先生と、高校受験について話すようになりました。
今の中学の友達と別れるのは嫌でしたけど、自宅が近い子も多いし、山手線内の学校なので、いつでも会えると思い、高校受験することを決心。
塾の先生からは、中高一貫の学校では、周りが受験体制でないし、学校で模試もやらないので、公立の中学に転校したほうがいいと言われました。
なかなか大変の手続きになるので、迷いましたが、結局中三の始めに公立中学に転校。
約1年みっちり受験体制に入りました。自分で勉強したくて勉強していたので、楽しい記憶です。
高校受験では、塾友の女子3人で私立の最高峰(KJ)を連番で受験。友人が一緒だったせいか緊張することなく試験にのぞめ、3人とも無事合格!塾で良き友に出逢えたことも、とてもラッキーでした。高校受験では、友達との関係も大事かもしれません。
でも終わりじゃなかった。
合格後、エスカレータで大学に行けることもあり、安心しきってしまいました。
有名大学をでていれば、行きたい有名企業に就職できるという時代は終わってたのです。
今思うこと。
中学受験で人生が決まってしまうわけではない。
そして、もし志望校に入学できても、そこはゴールではなく、スタートであるということ。
私自身、志望校合格をゴールとしてしまい、後悔する点が多いので、子供達には、同じ過ちをしないように、伝えていきたいと思います。
熱っぽいせいか、長々と熱く書いてしまいました。おつきあいありがとうございました。